
仏教には神がいない
仏教には、「唯一の絶対神」というものは存在しません。
そのため、仏教では神に祈る行為がありません。
釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は仏教の開祖者ですが、神さまではなく、
単なる悟りを開いたもの(仏陀)であり、仏教には崇拝する神さまがいません。
仏教では、人は煩悩(欲)に惑わされる存在であり、それ故に苦しみが伴う存在なのです。
そのため、煩悩(欲)に塗れた人が神になることもありません。
完全な悟りを開き、煩悩(欲)を捨て去った者は仏(仏陀)になります。
仏は、人間にとって苦しみから開放されるためのお手本であり、道標のような存在です。
しかし仏は、創造主でも絶対神でもないのです。
仏教は宗教なのか
神さまのいない仏教は宗教なのでしょうか。
宗教の要素として神・教義・教団が挙げられますが、仏教にはまず「神さま」がいません。
そのため、釈迦が説いた仏教は宗教ではなく、哲学的思想とみなされる場合があります。
普通の人間は煩悩を死ぬまで捨てきれないので、
煩悩(欲)に対して向き合うしかありません。
様々な宗教では戒め(戒律)が定められていますが、戒律は欲のままに生きる人を抑えるために生じてきました。
例えば、泥棒をする人がいなければ、盗むなという戒律を作ることは不要です。
泥棒をする人がいるから、盗むなという戒めが必要になるのです。
人間の欲をコントロールしたり成敗したりする神は仏教にはなく、仏教では自分の心を見つめることで煩悩(欲)と向き合うことになります。
つまり、ストイックな自己鍛錬トレーニングを行うのが仏教の本質です。
ちなみに日本の神道は「神霊」しかいない
日本ではあらゆる自然物に神が宿る(神霊)と考えられていました。
神霊が自然の中にいる、つまり、自然は人を超えている、と考えられています。
神霊は自然の数だけ数多くあります。
その八百万の神を信仰の対象としているのが、神道です。つまり多神教です。
八百万の神(自然信仰)を土台にしているため、神道では開祖者がいません。
また、神道では教義も経典もありません。
そのため神教ではなく、神道と呼びます。
宗教の定義から見ると、神道も宗教から逸脱している存在です。
教義はあるけれど神がいない仏教。
神はいるけれど教義もない神道。
日本には大乗仏教が広がり、超人的な仏像が普及し、日本古来の神道と歴史上混在して定着していきます。
手を合わせることの意味
なお、仏教では手を合わせることと合掌(がっしょう)と言います。
合掌はインド古来の敬礼の作法(相手を敬う)が仏教にも取り入れられ、浄土(穢れのない右手)と現世(不浄の左手)を一つに合わせることを意味します。
お葬式で合掌する意味は、
浄土(穢れのない右手)と現世(不浄の左手)を一つなり、「死者が浄土で行けますように」と願うことから行われます。


